西村 喜助 (にしむら きすけ)
慶応3年(1867) ~ 昭和17年(1942)

-八戸近代産業の開拓者-

 塩町の刀鍛冶の次男として生まれる。八戸小学校卒業後すぐ、泉山呉服店へ丁稚奉公に出、主人の計らいで八戸中学校へ入学した。23歳で分家し、二十八日町で古着屋を始める。

 明治27年(1894)から28年の日清戦争後の好景気に乗じて製糸工場・染物工場・綿打工場・機織工場を次々に建て、事業を拡大していった。機織機は手織式の他に、豊田佐吉発明のトヨタ式自動機織機を用いている。

 「よく働き大いに楽しむ」ことを信条に、明治36年(1903)、八戸で初めての大がかりな芝居小屋「当り座」を建てた。

 しかし、大正4年(1915)の火災で全焼し、興行中の市川荒二郎一座の8名が命を落とした。後に、糠塚の大慈寺山門前に供養塔を建立している。翌年、新しい劇場である「錦座」が竣工した。舞台の間口十三間、定員1141人の洋館二階建ての錦座は、東北一といわれた。

 大正13年(1924)「八戸大火」により、自宅、工場、「錦座」も消失し、大きな痛手を負ったが、翌年には工場跡にバラックの芝居小屋を完成させ、15年には「錦座」の再建を成し遂げ、八戸興業界の草分け的存在でもあった。

 



大正5年開業の錦座


 

 




喜助が明治27年に始めたバッタン手織り