太田 広城 (おおた ひろき)
天保9年(1838)~明治44年(1911)

-明治維新における八戸藩最大の功労者-

 八戸藩士・太田久容(ひさもり)の次男として角柄折村(階上町)に生まれた。幼少から武術に優れ、禅も学んでいる。明治維新期に奥羽越列藩同盟と政府軍との間に立って八戸藩を支え、政府軍や盛岡藩との情報交換や交渉に奔走した。この功績が認められ、明治3年(1870)に八戸藩の大参事となった。

 4年に広澤安任(ひろさわ やすとう)とともに5県(弘前・黒石・斗南・七戸・八戸)の合併を政府に建議し青森県の枠組みを作り、6年に青森県典事(知事の代理格)となった。

 広澤と三沢で日本初の民間洋式牧場と言われる「開牧社」を開き、イギリス人のルセーとマキノンを雇い入れ、5年から経営を開始した。

 8年に官職を辞した後は13年に北海道の福山で開墾を指導、奥尻島に渡り戸長を務めた。

 また、「一毛(いちもう)」の号で俳句をたしなみ、35年に八戸に帰郷して二世「百丈軒(ひゃくじょうけん)」を継ぎ、翌年創立の「八戸俳諧倶楽部」の会長に就任した。旧八戸藩士族老年会会長も務めている。

 
御名使者(おんなししゃ)(藩主の代理)として行動した広城直筆の内状(内密、忍の書状)。

 


自筆の詠草。慶応4年から明治8年までの間に制作した和歌や漢詩などが、制作年順に日付を付して書かれている。